観光・コラム

高岡五年間だけの城下町

慶長十四年に高岡に築城されたのは、同年三月に富山城が焼失したからである。前田利長公は、新しい城の最適地を、当時関野と呼ばれていた高岡に決めた。だが、利長公は慶長十九年五月に没して高岡城は廃城となった。

この、わずか五年間で城と町が造られ、高岡は城下町になったのである。諸所から色々な技術を持った工人が入町し、職種に応じて町割がされた。この頃に大場庄左衛門が家具類を製造し、この町に指物を業とする人々が集まり指物屋町と呼ばれるようになる。そして廃城後は、いち早く城下町から商工の町へと高岡は転換して、次第に漆器産業が確立された。

(画像は高岡古城公園)